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それは一握りのソバの種からはじまった

出会い

 『天保そば』との出会いは、平成十一年、当時鈴木製粉社長・故鈴木彦市氏のもとに、一握りの「ソバの実」とともに一通の手紙が届いたことにはじまります。手紙には「『天保そば』かもしれないものです、よろしく発芽試験お願いいたします」という文面が添えられていました。
 ソバの実は、福島県大熊町の横川一郎さん(当時八十四歳)方の旧家を解体した時に、屋根裏で見つかった俵に大切に保管されていたものでした。俵は三重で、俵と俵の間には木灰(あく)が詰められていました。
 鈴木氏がソバの実を手のひらにのせ、はじめて観察した感想は、「乾燥や傷みがひどくてとても発芽するとは思えない」というものでした。間もなく、鈴木氏のもとに種子を送ってきた友人から、大学や研究機関に依頼した発芽テストでは「すべての種子で胚は発芽活性を喪失、成長能力は無い」という報告が届いたという連絡がありました。しかし、鈴木氏は一縷の望みをかけて気心の知れたそば職人に声をかけました。
 俵を三重にし木灰を詰めた保存法は、ネズミや害虫の侵入を防いで、またソバの実の状態にも影響をあたえていたと思われました。山形での発芽方法は一六〇年間同じ状態で眠っていたのだからなるべくその状態に近づけてやろうということでした。

鈴木彦市とそば職人の挑戦

 そば職人たちは営業の終わった後石臼館に集まり、炭を砕き木灰を持ち寄って土と砂に混ぜ焼き畑農法を想定した土壌を作り、木箱に一粒一粒播いたのです。夜に播くというこだわりも持ちました。「ソバを播くときは水はいらない」という昔からの言い伝えを守り、種子に直接水は掛けないで絞ったミズゴケで覆う程度にとどめました。そして、平成十一年八月二日の朝、ついに発芽を確認できたのでした。白い幼根が出て子葉が伸びてきた様子を見たときには本当に感動しました。プランターに植え付けをして成長を見守りました。
 弱り切っている種子をシャーレに入れて水と温度で発芽テストをした研究機関のやり方より、経験と知恵を駆使した職人たちのローテクが『天保そば』の発芽には合っていたのかもしれません。山形でのこの方法を福島の方々に知らせたところ、福島でも発芽が確認されています。しかし、花の咲くところまではゆきましたが播種の時期が遅かったのか結実までには至りませんでした。

結実の確認。保存会を

 発芽、開花を見守り、結実にまで出来た山形に『天保そば』がよみがえり、次世代に伝えていけることになったのです。以来、発芽させ見守り続けてそば職人を軸として、志を同じくする人たちで「天保そば保存会」を立ちあげました。

*ソバの実と種まき・発芽と成長・開花と結実 画像*